おおきく振りかぶって 小説 『ビビんな!!』

おおきく振りかぶって コミック8巻から、西浦VS桐青の最終回、栄口勇人がバントを決める場面を掘り下げた小説です。


おお振りファン、栄口ファンの方は、よかったらチェックしてみて下さい。



おおきく振りかぶって

『ビビんな!!』


 降りしきる雨。


 映画館の映写機のフィルムが無機質に巻き取られていくような、微かに乾いた音が、球場全体を溶けるように流れ落ちていく。


 意識しなければ、神経を研ぎ澄まさなければ聞こえない、静寂が奏でる雨音――


 けれども、そんな微音はどっと湧いた周りの応援の声にかき消された。


 ネクストバッターズサークルに片膝をついていた栄口は、泉が一塁を駆け抜けたのを見てスッと立ち上がった。


 回は大詰め。9回表。無死一、二塁。


 西浦が1点を追いかける展開だ。


 “1球目は……見送りか。”


 栄口はモモカンのサインに軽くうなずきながら、ヘルメットのヘッドを軽くつまんだ。


「2番セカンド栄口君。背番号4」


「します!」


 ウグイス嬢のアナウンスと共に打席に入る。言うまでもなく、これが西浦にとって最後のチャンスだ。土壇場の9回、1点差で無死一、二塁。さらにクリーンナップに回るというシチュエーションなら、プロでもバントという場面。
 少しだけドキドキする感じだ。両手に何だか力が入らないような気がする。


 “やばい、サードランナー……”


と思ったら、もう高瀬がセットポジションに入った。


 投げ込まれた球は外角へと外れる。キャッチャーミットがボールを受けるパンッというと小気味いい音と同時に、河合から三塁へ矢のような送球が放たれた。


 “相変わらずすごい肩だな。”


 無死一、二塁なら、三塁はフォースアウトとなる。タッチプレイではないから、より正確なバントが求められる。そして、100%バントというこの状況。当然、桐青内野陣もそれに備えたシフトをしてくるだろう。あの肩だ。キャッチャー前には落としたくない――


 モモカンのサインを確認する。今度こそバントだ。


 “よし!”


 1球見送れたおかげで、変な硬さもほぐれた感じだ。


 “ここはセオリー通り、三塁前にころがそう。”


 そう決めてグッと腰を落とし、高瀬の表情を睨みつける。キャッチャーのサインに頷いた高瀬がセットポジションに入り、すぐさま投球動作に入った。
 雨の糸をスパッと切り裂くような一連の動き。高瀬のしなやかな指先から放たれた白球が、うなりを上げて栄口へと襲いかかる。


 “は、やい……”


 カンッ


 両手に衝撃を残し、ボールはバックネットへ飛んでいった。瞬間、しまったという想いが脳裏をよぎる。


 “ビビってしまった。次は決めなきゃフォークが来るぞ。”


 そう思ったら、また少しドキドキしてきたような気がした。周りにはわからないように静かに深呼吸をしつつ、モモカンのサインを垣間見る。次も当然バントだ。


 “落ち着け……”


 桐青バッテリーのテンポは速い。栄口がバントの構えをするのとほぼ同時に、高瀬はもう投球前の構えを取った。


 “く……”


 投球テンポの速さはバッターに考える余裕を与えてくれない。栄口が心の準備を完了する前に、高瀬は渾身のストレートを投げ込んだ。


 “ふぐっ”


 またしても、バットに当たり軌道を変えたボールはバックネットへのファールになった。バントをしようとするとボールと目線との距離が途端に近くなる。その上高瀬のストレートは、9回だというのにうなりを上げながら伸びてくる感じだ。その伸びも頭に入れたつもりだったが、調整しきれなかった。


 “まずい……”


 ツーストライクワンボール。ツーストライク後のバントのファールは、バッター三振となる。もう失敗はできない。


 “やっぱ3バントか”


 さらにモモカンのサインを確認すると――


 “――え? 速球? いや、ここはフォークじゃないの?”


 打者の手前でストンと落ちるフォークボール。球質、速度、キレなど、様々な要素が絡んでくるため一概には言えないものの、フォークの方が当てにくいというのは道理だろう。


「タイム!」


 ドキッとする。見ると次のバッターの巣山が手招きしていた。慌てて駆け寄ると……


「フォークないぞ!」
「え?」


 聞くところによると、4回で水谷が三振して以降フォークは1球もないらしい。故障でもないようだし、理由はわからないが次もストレートが来ることは間違いなさそうだ。


「つーことだ。しっかり転がそうぜ! じゃ!」
「あ、巣山!」


 わけもなく呼び止めてしまった。ストレートをバントする。ただそれだけのことなのに、頭が真っ白になって、しどろもどろになって、自分が何を考えているのか、何をやっているのかさえもわからなくなる。意味不明で理解不能で、栄口は藁にもすがるような気持ちで、目の前の巣山の手をぎゅっと握った。


「お!?」
「は、は、は」


 そんな栄口を見て、巣山はその右手を強く握りかえした。蔑みなどない、ただ仲間を想うが故の励ましの表情で。


「できっぞ!」


 そこから力が注ぎ込まれる。手のひらの温かさが勇気を与えてくれる。栄口は全身を軽く震わせながらそれに応えた。


「おお!!」



 応援の声が耳に届く。再びバットを握りしめ、栄口はバッターボックスへと向かった。


 巣山のおかげでだいぶ落ち着いた気がした。試合後、栄口は今の自分の言動の恥ずかしさに赤面することになるが、今はそんな余裕もなかった。投げ込まれた球をグラウンドに転がす。ただそれのみに集中する。


 “オレは田島のようなセンスがあるわけじゃない。花井のような体格もない。泉のような足もない。ましてや三橋みたいにピッチャーやれるわけじゃない。”


 バッターボックスに入る。


 “でも……でも、オレにだって、きっとできることがあるはずなんだ。オレだけじゃない。ここにいるみんな、誰一人だって欠けたらここまでこれなかったはずなんだ。”


 脳裏に浮かぶのは、幾度となく繰り返したバント練習。元々バントはうまかった栄口だが、モモカンに2番を任されてからというもの、これまで以上に集中して、誰よりも多くグラウンドにボールを転がしてきた。


 高瀬がキャッチャーのサインを覗き込む。


 “今日はこれで4打席バント。1回失敗してっから、ここで上げたら成功率5割だ。”


 そして、すぐさまセットポジションに入った。


 “5割じゃバントの意味ねェ!”


 この打席4球目のストレートが投げ込まれる。体重の乗った剛球が目の前に迫り来る。まるで獰猛な獣が獲物を狙うように。


 “ビビんな!!”


 キィンッ


 両の腕に衝撃を残し、ボールはピッチャー前へと転がった。


「くっ……」


 “でも、うまく殺せてる!”


 マウンドから下りた高瀬がボールを拾い、チラリと三塁を見やるもすぐにあきらめて一塁へと送球する。


 バント成功だ。


 “できた〜〜〜!”


 思わず表情が緩む。この1打席だけで1試合分戦ったくらいの疲労を感じた。でも、その2倍も3倍もの満足感が栄口を満たしていた。この満足感は、チームプレイが信条の野球ならではの醍醐味だ。


 “頼むぞ、巣山!”


 栄口は2番の仕事をきっちりと果たした。後はクリーンナップの仕事だ。


 ――幾分緊張した面持ちで巣山が打席へと入る。高瀬の表情は変わらない。1死二、三塁。犠牲フライでも同点という土壇場で、高瀬が第1球を投げ込んだ。


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